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Web特集Vol.5~映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』のロケ地 大分県「豊後高田昭和の町」の“奇蹟”~
大分県豊後高田昭和の町をメインロケ地に撮影が行われた山田涼介さん(Hey! Say! JUMP)が主演の映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』。
豊後高田昭和の町は、市の中心部にある8つの商店街。昭和の町の取り組みを始める以前は、さびれきった町でした。それが今、年間40万人もの観光客が訪れる“奇蹟”が起きた商店街に生まれ変わりました。
豊後高田昭和の町にはどこか懐かしい、今と比べ不便だったけど、なぜか元気だったあの「昭和」が、今なお息づいています。そんな“奇蹟!”を起こした「豊後高田昭和の町」をご紹介します。
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「豊後高田昭和の町」山田涼介さんが訪れたロケ地(撮影地・撮影場所)をご紹介
昭和の町
敦也(山田涼介)、翔太(村上虹郎)、幸平(寛一郎)が、夜の商店街を走るシーンや、晴美(尾野真千子)が手紙を読みながら歩くシーンなど、登場人物がいろいろな形で関わっていく商店街です。夜明けから日中、真夜中までのほぼ全時間帯で撮影しました
桂橋
ナミヤ雑貨店の奇蹟 特報2でも使用された、敦也(山田涼介)が走りぬけた橋
真玉海岸(日本夕陽百選:豊後高田市)
日本夕陽百選に選ばれている真玉海岸。セリ(門脇 麦)の唄う「REBORN」中にある踊りのカットを撮影。
まだまだたくさんあります!映画の舞台となった豊後高田市のロケ地巡りについて詳しくは下記をクリック!
映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』のロケ地<外部リンク>「豊後高田昭和の町」特集<外部リンク>
行ってみよう!豊後高田 昭和の町
令和という新しい時代を迎えても、昔懐かしい『昭和』の思い出は永遠です。
そんな懐かしさが味わえる昭和の町でタイムスリップしませんか?
昭和の町はまだまだ『工事中』です!
令和4年度以降、昭和の町の景観はリブランディング(再構築)されます!
恩送り~皆様へ感謝の気持ちを込めて-こうご期待!
※上記は現段階のイメージプランです。
大分県豊後高田市の概況
大分県・国東半島(くにさきはんとう)の西側に位置する豊後高田市の総人口は、1947年の約5万人をピークに減っていき、現在(2019年5月末)は2万2,000人の小さなまち。空港もない、高速道路のインターチェンジもない、JRもない陸の孤島。
そんな小さなまち豊後高田市で“奇蹟”の起きたまちづくりをご紹介します。
豊後高田昭和の町とは
時代に取り残された商店街
かつて運行されていた私鉄の終点として、さらには半島一円のバス路線の起点、鉄道とバスの交通結節点として、中心市街地は、必然的に人々が集うにぎやかな場所でした。
小さな町に8つもの商店街が存在し、昭和30年代には中心市街地のにぎわいはピークを迎えていました。
しかし、昭和40年代の鉄道の廃線やモータリゼーション進展による人の流れの変化、そして平成の時代に入って郊外型大型店という新業態の進出などにより、中心市街地は急速に衰退。
ついには「人通りよりも犬や猫の方が多い」とまで表現されるようになり、中心市街地にある8つの商店街は“昭和”の姿のまま時代に取り残されていったのです。
『奇蹟』は一夜にしてならず!
平成4年、大手広告代理店に依頼して、中心市街地の未来構想を作成。内容は立派なものでしたが、町の個性が反映されておらず、商人や市民はだれも振り向きませんでした。そこで、地元のみんなで中心市街地や既存商店街の歴史を徹底的に調査・研究し、町の個性を発掘する作業がはじまりました。
まずは、平成5年から平成9年にかけての5年間、歴史に埋もれ忘れ去られた町の個性をあぶりだし、浮かびあがらせていきました。その過程で、町並みを活用して観光化ができないかと検討されましたが、近世城下町の町並み、近代化遺産の町並みでは他の町にはかなわない・・・。その時に目に入ったのが、今まさに目の前にある商店街そのものでした。
さびれきったからこそ残った「伝統的な商店街」が遺産そのものなのではないかという結論に至ったのです。そして、平成10・11年の2年間をかけて、全国のありとあらゆる「昭和」再生事例をリサーチし、様々な町を視察。そしてようやく“昭和の町”こそ、この町にしかない町づくりの旗印、と自信を持ったのです。
昭和30年代をテーマにまちづくり
商店街が最も華やかで元気だった最後の時代、あの昭和30年代の活気を蘇らせようと平成13年(2001年)に立ち上げた「昭和の町」の取組み。昭和の4つの再生をコンセプトとした「昭和の店」。当初9軒でスタートし、今※では40軒以上に増えました。あわせて拠点施設「昭和ロマン蔵」を整備するなど、着実に取り組みを進めてきました。※令和元年6月現在人通りも少なかった総延長約550mの商店街は、今では年間約40万人の観光客が訪れる町へと生まれ変わりました。
昭和の町のコンセプト-「昭和の4つの再生」
(1)昭和の建築再生
もともと古い建物で商いを続けてきた店のパラペット(外壁リフォーム)さえ外したら、簡単に昭和のたたずまいがよみがえる。その建物が建築された当時の趣を再現するため、アルミ製の建具を木製に復元、看板も木製やブリキ製の『昭和の看板』に改修するなど、ないものを求めず、あるものを活かしていく“建築再生”です。
(2)昭和の歴史再生(一店一宝)
博物館には飾ってもらえないだろうけれど、その店の歴史を物語る昭和のお宝をお客様にご覧いただこう。その店に代々伝わる珍しい道具、かつて使っていた商いの道具、“一店一宝”を店頭に展示しています。
(3)昭和の商品再生(一店一品)
その店ならではの逸品をお客様に。昔から受け継いだ自慢の商品、“一店一品”を店頭で販売しています。
(4)昭和の商人再生
お客様と目と目を交わし、心と心を交わして商いに勤しむ“昭和の商人”物より人を守り伝えていきます。
そして、眠っていたかつての農業倉庫を『再生』
昭和の4つの再生とあわせて取り組んだのが拠点施設づくりです。商店街の近くには、昭和10年前後に建てられたかつての農業倉庫がありました。この農業倉庫も時代に取り残され、当時の姿のままだったのです。
平成14年、かつての農業倉庫を拠点施設『昭和ロマン蔵』として再生。
ここに昭和を感じさせるグリコのおまけや鉄腕アトムのおもちゃ、平凡パンチに明星などの雑誌類・・・自分の思い出を探す場所-駄菓子屋の夢博物館が誕生しました。
以降、団体客向けのレストランや昔懐かしい教室なども順番に作っていきました。
案内人が“昭和のお思い出さがし”をお手伝い
昭和30年代後半から高度経済成長期を迎え、豊かで便利で合理的な暮らしを手に入れた裏側で、失ったものも。おかずをつくったら近所におすそ分け、隣り近所で助けたり助けられたり、といった人間関係や価値観。そんな昭和30年代の人間関係や価値観をお客様にお伝えするのが、昭和の町案内人です。
“昭和の店”の建物や一店一宝、一店一品の由来はもちろん、商人の一人一人を紹介しながら、わずか500mの通りを1時間かけて案内してくれます。商人とお客様との間で昭和の思い出さがしが始まり、笑顔と笑顔、心と心を交わしあう商店街に生まれ変わったのです。
“昭和の町案内人”や“昭和の商人”との交流の中で、過ぎ去った昭和という時代をほのぼのと暖かく思い起こし、また人生の忘れ物を見つけることのできる町、それが“昭和の町”の最大の魅力です。
ボンネットバス『昭和ロマン号』-
昭和32年式のボンネットバス「昭和ロマン号」も昭和の町の仲間に加わり、昭和の町ミニ周遊などいろいろなコースを無料で乗車できます。皆様に大人気です。
ボンネットバスの車掌・ガイドを務めるのは、観光客の皆さんに大人気の「西佐知子さん」です。
西佐知子さん
豊後高田昭和の町-おかげさまで誕生20周年!
「豊後高田昭和の町」は、令和3年に20周年を迎えました。お客様の年齢層やニーズも、年々変化していますので、次の20年に向けて昭和の町ブランドの再構築などを進めます。
ブランドコンセプトは
~「恩送り」昭和の町から20年のご縁を「ありがとう」。~
これは、昭和の町を訪れてくれた人、築いてくれた人、市民の皆さんや昭和の町を育ててくれたすべての人に感謝し、いつも感謝の気持ちとありがとうの言葉があふれる商店街をめざすものです。
そして、近年「昭和」を知らない若い世代を中心に、ニューレトロ(昭和)ブームが起きており、若者に向けた情報発信やキャッシュレス化など、時代に求められるサービスも進めていきます。
「豊後高田昭和の町」は、日々、進化する町として、これからもがんばっていきます!
関連リンク
映画の舞台ロケ地(撮影場所)紹介
昭和の町で昭和を体感できる施設・イベントなど
ふるさと納税のご案内
- ふるさとチョイス豊後高田市ページ<外部リンク>
- 映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』のロケ地「豊後高田昭和の町」特集(ふるさとチョイス特集ページ)<外部リンク>
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