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「中山仙境(夷谷)」が国の名勝に指定されました!

ページID:0002296 更新日:2022年10月25日更新 印刷ページ表示

中山仙境(夷谷)の画像
 いにしえの霊山に立って岩峰群を見下ろせば、季節に色めく2筋の谷の風景が1つに合わさってゆく「中山仙境(夷谷)」について、10月15日(月曜日)の官報告示により、正式に国の名勝に指定されました。
 かつて「大魔所(悪魔や魔物の棲む場所)」と呼ばれた夷谷。人跡未踏の地であった奇岩の風景は、岩林と呼ぶにふさわしい規模で展開しています。平安時代以降、六郷満山の僧侶達によって夷谷は徐々に開拓され、谷全体が「夷石屋」という寺院へと成長していきました。
 江戸時代には歌人・国学者の高井八穂らが夷谷を訪れて和歌を詠み「夷谷八景」を定めました。谷を彩る折々の自然を愛でる文化は今の夷谷にも息づいています。
 今回の意見具申にあたっての調査において、東西の夷谷を分かつように聳える「中山仙境」は、実は2つの谷の文化の淵源として、むしろ2つの谷を束ねている存在として再評価されました。

 大分県内の名勝は6件、県内で単独で2件の名勝を持つのは、豊後高田市のみになります(平成30年10月15日現在)。

文化財ワンポイント「八景とは?」

 地域の優れた8つの景色を選んだもので、10世紀の中国・北宋において山水画の画題として選ばれた「瀟湘八景(しょうしょう‐はっけい)」が最も古いとされています。日本には室町時代に学僧らが持ち込み、後に狩野派や浮世絵師にも影響を与えたとされています。15世紀末に近江八景が誕生したのを皮切りに、絵画や和歌などの題材として、全国各地で八景が定められました。
 全国には約400の八景があるとされますが、近代以降の開発によって要素の一部を失ったものや、観光誘客等のために新しく選定されたものも多くあり、近世以前の伝統的な八景で、現代にその全てを伝えている場所は多くありません。

中山仙境(夷谷)の位置

中山仙境 高城からのパノラマ写真

中山仙境 高城からのパノラマ写真の画像

「中山仙境(夷谷)」フォトギャラリー

四季の夷谷

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四季の夷谷の画像3四季の夷谷の画像4

群れる岩峰

群れる岩峰の画像1群れる岩峰の画像2
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夷谷の仏教文化

夷谷の仏教文化の画像1夷谷の仏教文化の画像2
夷谷の仏教文化の画像3夷谷の仏教文化の画像4
夷谷の仏教文化の画像5夷谷の仏教文化の画像6

中山仙境(夷谷)の楽しみ方(1) 夷谷の景色を愛でてみよう! 岩峰編

 中山仙境(夷谷)の範囲は、東夷・西夷・中山仙境の3パーツからなる岩峰群が聳える場所が主な要素になっています。
 中山仙境(夷谷)の風景を愛でる時にまず行きたいのが、中山仙境の岩峰群が最もよく見える一路一景公園です。50~80m程度垂直に聳えている岩峰は、個々の特徴から窓岩・大仏岩・白岩・烏帽子岩などの名称で親しまれています。
 中山仙境の中心には尾根道が伸びており、登山コースにもなっています。危険な箇所も多く、細心の注意を払いながら登山しなければなりませんが、そこからの絶景は他に類するものがありません。随所に設けられた霊場を巡れば、東夷・西夷の美しい岩峰群を交互に望め、高城で振り返って谷を見下ろせば、2筋の谷が1つとなって周防灘にそそぐ、香々地の谷の全域を一眸の内に収めることができます。
 他にも、西夷・兄弟割石付近からは3パーツの岩峰群を重ねて見る事ができるなど、夷谷の岩峰群の観賞ポイントは多様にあります。

一路一景公園から望む岩の名称

一路一景公園から望む岩の名称の画像

馬の背付近からの風景

馬の背付近からの風景の画像

西夷からの風景

西夷からの風景の画像

中山仙境(夷谷)の楽しみ方(2) 夷谷の景色を愛でてみよう! 八景編

 文政2(1819)年に、地元の板井某の求めによって、江戸の歌人・国学者の高井八穂が夷谷を訪れ、和歌を詠んで「夷谷八景」を定めました。これは頼山陽が耶馬渓を「耶馬渓天下無」と漢詩に詠み賞賛した翌年の事でした。豊の国の景色は江戸時代人の心を掴んでいたのです。
 夷谷八景は夷谷の風景を季節や時間、場所などによって切り取ったもので、「楽庭櫻花」「藤谷藤花」「夷川螢火」「高城秋月」「大平峯雪」「車橋夜雨」「霊仙晩鐘」「六所宮燈」があります。この内、車橋は道路拡張等に伴って取り壊され、親柱が移設されているのを見られるのみですが、全ての要素について確認できます。

 はふりこ
 祝子がたち舞う庭の櫻花いくよの春のかざしなるらむ 八穂
(巫女が舞う楽庭の桜の花は、幾代の昔から春のかんざしだったのだろうか)

 高井八穂らのように、夷谷の風景を歌枕に一首詠んでみてはいかがでしょうか。

夷谷八景の風景


楽庭櫻花の画像藤谷藤花​の画像夷川螢火​の画像
​楽庭櫻花           藤谷藤花​           夷川螢火​


霊仙晩鐘の画像高城秋月​の画像大平峯雪​の画像
霊仙晩鐘            高城秋月​          大平峯雪​


車橋夜雨(左:現存する親柱)の画像車橋夜雨(右:古写真)の画像六所宮燈​の画像
車橋夜雨(左:現存する親柱、右:古写真)         六所宮燈​

中山仙境(夷谷)の楽しみ方(3) 夷谷の仏教文化・伝承に触れてみよう!

 中山仙境(夷谷)の中には、霊仙寺・実相院・六所神社といった六郷満山寺院「夷石屋」の境内の中心であった場所があり、線彫板碑・梅ノ木磨崖仏・焼尾塔ノ本国東塔など、すぐれた文化財が多数残されています。江戸時代には、西夷の板井派仏師によって、すぐれた石仏が多数制作されました。霊仙寺の地蔵菩薩像は石造としては九州最大の高さを誇る大作ですし、西夷の猿田彦大神像庚申塔は細部まで表現がなされる優品です。
 また、2つの大きな岩塊が中山仙境の地下で繋がっているとされる「兄弟割石」の伝承や、戦国時代の終わりごろ夷谷であったとされる合戦にまつわる「隠山軍談」、足利尊氏が植えた「六本杉」の伝承などを見てみると、様々な伝承に彩られた夷谷が、豊かな隠れ里として、人々に長く愛されてきたことが分かります。

梅ノ木磨崖仏

梅ノ木磨崖仏の画像

猿田彦像庚申塔

猿田彦像庚申塔の画像

兄弟割石(東)

兄弟割石(東)の画像

兄弟割石(西)

兄弟割石(西)の画像

『中山仙境(夷谷)名勝調査報告書』について

中山仙境(夷谷)名勝調査報告書の画像
中山仙境(夷谷)名勝調査報告書

 豊後高田市教育委員会では、名勝地「中山仙境(夷谷)」の意見具申にあたって、当該地域の景観等の歴史的変遷・人文的評価についてまとめた調査報告書を作成しました。
 現在、報告書を刊行する予定はありませんので、以下のリンクよりダウンロードしてご参照ください。

「中山仙境(夷谷)名勝調査報告書」[PDFファイル/19.1MB]

国東半島の名勝 リンク集

国指定名勝 天念寺耶馬の画像
国指定名勝 天念寺耶馬

 国東半島では他の岩峰景観も、名勝地として高い評価を受けています。あわせてご覧ください。

国指定名勝

天念寺耶馬及び無動寺耶馬(豊後高田市)

中山仙境(夷谷)と同日指定

文殊耶馬(国東市)<外部リンク>

 また、国東半島の岩峰は、鬼が出そうな風景として日本遺産『鬼が仏になった里「くにさき」』でも、ストーリーのカギとなる構成文化財として登場しています!

日本遺産『鬼が仏になった里「くにさき」』ストーリー紹介ページ

中山仙境(夷谷)パンフレット

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