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夷地区の「道園庚申塔二基 附 庚申待上講関係資料一式」が県指定有形民俗文化財に指定されました!

ページID:0002789 更新日:2022年10月25日更新 印刷ページ表示

新・県指定有形民俗文化財「道園庚申塔二基 附 庚申待上講関係資料一式」とは?

新・県指定有形民俗文化財「道園庚申塔二基 附 庚申待上講関係資料一式」とは?の画像
 西夷・道園(どうぞの)に所在する2基の庚申塔(猿田彦大神像庚申塔・青面金剛像庚申塔)と、同庚申塔を舞台に行われる"まちあげ(庚申待上講)"の関係資料一式が、3月2日付けで県指定有形民俗文化財に指定されました。
 猿田彦大神像庚申塔には、宝暦3年(1753年)3月の銘があり、同様の庚申塔の中では、県内でも2番目に古く、作者が板井半蔵(板井派仏師の初代)と判明したことも貴重です。
 また、宝暦3年に庚申塔を立てた際からの祭祀について記録する帳簿類がほとんど欠けずに残されており、国東半島の庚申信仰を探る上で極めて貴重な資料となっています。

猿田彦大神像庚申塔

 西夷の仙境側の丘陵、少し里道を登った場所にひっそりと立つ庚申塔。杖をつき、木の葉の衣まとった老人の姿であらわされる猿田彦大神の彫刻が施されている珍しい庚申塔です。よく文字で猿田彦大神と刻まれる庚申塔はありますが、図像が彫刻されるのは県内でも10件程度しかなく、中でも宝暦3年(1753年)に建てられたこの庚申塔は、その前年に建てられた宇佐・百体社の塔に次いで2番目に古いものです。
 塔の作者は、長らく謎に包まれていましたが、平成29年に1度、この塔が倒れてしまった際に、塔背面から「佛師板井半蔵」の文字が発見されました。夷谷出身の板井半蔵は、代々比叡山から法橋位を授かり、国東半島で広く活躍した板井派仏師の初代にあたる人物。元々は木彫の仏像の修理銘などに名前が見えていましたが、個人の作としては市内では他に1つしか知られていません。
 塔の姿を再び見てみると、猿田彦大神の顔は、髪や髭、歯など、細部に至るまで、木彫のように繊細に細かく彫られており、また現在に至るまで殆ど崩れておらず、非常に丁寧で細緻なつくりをしています。この優れた造形は、半蔵だからこそ成し遂げられるものなのです。

猿田彦大神像庚申塔の画像発見された塔背面の銘「佛師板井半蔵」の画像
     猿田彦大神像庚申塔             発見された塔背面の銘「佛師板井半蔵」

まちあげとは?

 猿田彦大神像庚申塔では、2年に1度、年内最後の庚申の日に、「まちあげ」という少し変わった祭祀が行われます。「まちあげ」は漢字では「待上」と書き、かつては夜を徹して日の出を待った祭祀の名残りです。
 道園地区のまちあげは、しめ縄づくりや餅づくりから始まります。そして、夕方ごろになると道具一式を持って猿田彦大神像庚申塔へ向かい、紅白の角餅を塔の四方に置き、庚申塔にしめ縄をかけて、その上から直径50~60cmほどの笠餅をかぶせます。そして、五穀とお神酒を供えて、祝詞を読み上げます。
 その後、同じ道園地区の西側にある猿田彦大神文字庚申塔に移動して、同様の神事を行い、最後にヒトギ(シトギ)餅を撒きます。東西の庚申塔での神事の順番は、実施毎に入れ替え、最後にヒトギ餅を撒く方を記録します(西ヒトギ、東ヒトギ)。

供え物の五穀の画像笠餅をかぶせるシーンの画像祝詞を読み上げますの画像
 供え物の五穀           笠餅をかぶせるシーン         祝詞を読み上げます

西側の猿田彦大神文字庚申塔へ移動の画像猿田彦大神文字庚申塔の画像同様に神事を行いますの画像
西側の猿田彦大神文字庚申塔へ移動      猿田彦大神文字庚申塔         同様に神事を行います   

まちあげの際の猿田彦大神像庚申塔の画像
まちあげの際の猿田彦大神像庚申塔

青面金剛像庚申塔及び庚申待上講関係資料一式

 猿田彦大神像庚申塔の隣にある青面金剛像庚申塔は、享保14年(1729)の銘があり、道園区の庚申講が神式に変化する前に使用していた庚申塔と推定されます。青面金剛像庚申塔は一部折損していますが、童子や三猿・二鶏・夜叉など、多数の図像が彫り込まれています。
 また、道園区のまちあげに関する資料は多く残されています。帳簿類は、宝暦3年に猿田彦大神像庚申塔が建ったその年の祭祀から、ほとんど切れ目なく残されており、実施年や座元、酒や白米・もち米の負担量について知ることができます。江戸時代にはおよそ約3年に1度行われていたまちあげが、明治10年代以降は2年に1度と改められたことなど、祭祀の歴史を追うことができる点はもちろんのこと、江戸時代から現在にいたる道園区の様子を知る上で重要な基礎史料になります。
 平成28年までは、掛け軸や帳簿類を箱に入れ、くじ引きで決めた座元に持ち回っていました。掛け軸には猿田彦大神の図像が描かれており、持ち回り庚申塔と呼ばれています。

※関係資料は通常非公開です。

青面金剛像庚申塔の画像猿田彦大神の掛け軸(複製)の画像
        青面金剛像庚申塔                猿田彦大神の掛け軸(複製)    

待上(まちあげ)に関する帳簿(最古の部分)の画像
待上(まちあげ)に関する帳簿(最古の部分)

 今回、「木造十一面観音菩薩立像」も指定されるので、豊後高田市に所在する県指定文化財は62件となります。豊後高田市において、県指定有形民俗文化財の指定は初めてのことです。また、県指定への昇格に伴い、市指定文化財は139件になります。

豊後高田初の県の有形民俗文化財指定を記念してTシャツを作成しました!

 道園庚申塔二基 附 庚申待上講関係資料一式の指定は、本市では初の県指定有形民俗文化財への指定となりますので、日本遺産との連携事業で記念に「まちあげ おモチはかぶるモノです。Tシャツ」を発売します。お餅を庚申塔にかぶせる珍しい神事の様子をコミカルに表現したデザインとなっています。
(真玉庁舎・日本遺産くにさきのネットショップKUNISAKI PEAKS OniLINEにて、50着限定で販売)
ネットショップKUNISAKI PEAKS OniLINE<外部リンク>

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