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文化財室では市内の小・中学生に対して、地域の歴史・文化をテーマにした出前講座を行っています。
河内小学校では「総合的学習の時間」のなかで”ふるさと学習”という、地域の歴史文化や自然について学ぶ取り組みを行っています。その一環として、4~6年生を対象とした出前講座を行いました。4・5年生には「鞍懸城跡・校区の石造物」について、6年生には「校区の文化財めぐり」と題して出前講座を実施しました。
12月12日(月)は6年生の皆さんで、河内小学校の校区内にある文化財を現地で見学しながら学びました。周辺には校内のそばに古墳(の石室)があったり、目の前の山上には城跡(佐野鞍懸城)が残っていたりと、たくさんの文化財が所在する「歴史の宝庫」です。
当日は6ヶ所をめぐりましたが、児童の皆さんは職員の説明に何度も頷いたり文化財をタブレットで撮影したりと一生懸命でした。
まずは、河内小学校入口にある古墳時代終末期に造られた古墳について学びました。何気なく目にしている文化財ですが、詳しい解説を聞いたり古墳の石室を内側から観察してみたりしたことで、佐野古墳も地域の歴史を物語る重要な文化財の1つであることを改めて知ってもらえました。
「石室に使われている石材は意外と大きくて驚いた!」
食べ物を司る「保食神(うけもちのかみ)」をお祀りした神社。参道に架かる石橋は江戸時代後期に作られたもので、現在は長さのある石材を採取することが困難になっていることから、同じような石橋を造ることは今となっては不可能に近いと言われています。
「いつも見ていた橋だけど、とても古くて立派な石橋であることを初めて知りました!」
カワラガマ遺跡は平安時代初期の窯跡。付近の薬王寺に瓦を供給していた生産拠点。カワラガマ遺跡についての解説をした後、出土した瓦を実際に触ってみてもらいました。出土品を登場させた途端にタブレットを取り出して撮影する様子も見られ、撮影後は瓦の手触りを確かめたり他の瓦と違いを比べてみたりしていました。
「昔の瓦って重い!手触りがザラザラしている!」
縄文時代後期の貝塚と河内中学校敷地内に移設してきた古墳。「食料とした貝の殻や獣の骨、破損した土器や石器などを同じところに捨てたものが蓄積された遺跡」を貝塚ということから、森貝塚では土器の破片を見つけようと皆さんで集中していました。その後、河内中学校敷地に移動して西田古墳と出土品の一部を見学しました。
「中学校に古墳を移してきたなんて初めて知りました!」
4・5年生には、12月13日(火)と16日(金)の2日間に分けて、学校の前にそびえる「城山」の頂上に築かれた中世城郭・佐野鞍懸城跡について詳しく学ぶ講座を実施しました。また、校区内に所在する板碑や国東塔などの石造物についても現地見学を行いました。
☆鞍懸城跡についての詳しい情報はこちらから
⇒ 鞍懸城を包囲せよ!国東半島の関ヶ原「田原親貫の乱」について
12月16日(金)の鞍懸城跡の現地見学に向けた事前学習として、13日(火)に教室で戦国時代の城の仕組みや戦い方について学びました。
児童の皆さんは職員からの問いかけに元気よく回答したり、解説を熱心に聞いたりしていました。また、戦国時代の最新兵器・鉄砲の仕組みについても、レプリカ火縄銃を使って学びました。実寸大の鉄砲を持ってみた児童たちは目を輝かせていました。特に4年生は国語で「ごんぎつね」を習ったばかりで、物語に登場する「兵十の火縄銃と一緒だ!」と喜んでいました。
そして16日(金)、教室を飛び出し、山のふもとから徒歩約20分で標高約100mの「城山」(鞍懸山)を目指しました。当日は冷え込んでいましたが、児童の皆さんは元気よく登っていきました。
鞍懸城跡は山中にあることもあり、普段見る機会がない城の石垣や堀跡などを初めて目にした児童の皆さんは驚きを隠せません。堀跡や石垣など、今は教科書でしか見られないと思っていたものが、学校のすぐ近くに400年以上経った現在でも残されている立派な城跡を見学したことで、当時の様子を想像しやすくなり理解が深まりました。
城跡探検の興奮も冷めないうちに…次の目的地は「塔ノ御堂」「カンカン堂」へ。鎌倉時代後期に造られたとされる板碑や国東塔といった、いずれも河内地区を代表する大型の石造物です。さまざまな”いのりの文化財”のかたちに児童の皆さんも、驚きと関心を持って見学していました。
これまで実施してきた出前講座の様子をホームページにて公開しています。
下記のリンク先から過去の講座内容一覧を見ることができますので、ぜひご覧ください。