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国東塔とは「宝塔」の塔身に蓮華座が備えられたものをいい、すらりと縦に長い姿が美しい、国東半島独自の発展を遂げた石塔です。古い国東塔は単なる墓標ではなく、生前供養・追善供養・一族や寺門の繁栄のためにつくられたものも多く、数百年単位で位置の変更が無いものもあることから、仏の里・豊後高田市の歴史や文化を直接語ってくれる存在として貴重なものです。
国東塔は鎌倉時代後期からつくられるようになりました。市内では、銘から鎌倉時代のものと分かる国東塔は1基(塔ノ御堂国東塔)、様式から鎌倉時代のものとされる国東塔も数基(長安寺国東塔など)のみと特に貴重とされています。南北朝~戦国時代にかけての国東塔はかなりの数が残されており、銘が残されていたり、大型で形のよい塔は指定文化財にもなっています(県指定9基、市指定17件(兄弟塔なども含む))。
智恩寺国東塔
まずは、国東塔の大きさを比べてみたいと思います(大きな画像はこちら[PDFファイル/616KB])。比較のために、吉弘統幸(180cm程と伝えられています)を加えています。これを見ると、指定されたほとんどの国東塔が、人間の背の高さより大きいことが分かります。
3mを超える国東塔は、市内でも大型の国東塔といえますが、中でも実相院の国東塔は389cmと最大のものになります。
逆に最小の国東塔は少し変わった国東塔で、磨崖仏のように崖面に半肉彫りでつくられた珍しい国東塔で、県指定有形文化財になっています。90cmと小型ですが、永享5年(1433)の銘もしっかり刻まれています。
国東塔の個性が見えやすいのが「蓮華座」と「奉納孔」です。
蓮華座は、蓮華を表現した部材で、塔身を支える重要な役割をしています。国東塔にしか見られない様式で、まさに国東塔の命とも呼べる部分になります。
この蓮華座も大きく分けて2種類あり(上向きの請花(うけばな)と、下向きの反花(かえりばな))、両方備えている塔と、反花のみの塔があります。蓮華の表現もかなり多様で、当時の石工・仏師の技術を結集してつくられたことが分かります。
奉納孔は供養の際に経典を納めるための穴のことで、国東塔にはほとんど備えられています。奉納孔にも色々個性があり、塔身の細くなった部分(首部)に横につくる場合が最も多く、首部根元に縦につくる場合、塔身の真ん中につくる場合などがあります。穴の形状も四角いものや、丸いもの、珍しいものでは三角形のものもあります。
最後に意外な使われ方をしている国東塔を紹介します。
河童の逆相撲などで有名な、香々地の日枝神社には立派な国東塔(兄弟塔)がありますが、他に見られない利用方法をしています。
塔身と笠の間に「火袋」を挟み、灯篭として利用していたのです。確かに参道を挟んで左右にあるので灯篭に似ていますが、ここでしか見られない衝撃的な利用方法です。
また、昭和の町から程近い妙寿寺でも、国東塔が意外な使われ方をしています。本堂の向かって右側で半分埋まっている国東塔は手水鉢として利用されています。よく見ないと分かりませんが、塔身の上に蓮華座を重ねており、首部や奉納孔があり、間違いなく国東塔の一部なのです。
どちらも国東半島の人々にとって、国東塔がいかに身近なものであったかという事を示す証拠ですね。