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平成8年3月29日に県指定史跡となった「カワラガマ遺跡」は、河内地区・矢原に残る小さな地名「カワラガマ」から発見された瓦専用の窯跡です。
現地ではカワラガマという地名や、古い瓦の破片が度々見つかっていたことから、「付近に窯跡があるのではないか」と昔から言われていましたが、その存在・位置については全くの謎に包まれていました。
発見のきっかけとなったのは、現地の圃場整備に伴って行われた発掘調査でした。平成6年度からはじめられた調査では、戦国時代の屋敷跡や、釣鐘を鋳造した跡など、次々と遺構が発掘されましたが、目当ての窯跡の発見にはかなり苦労をしました。少しずつ調査範囲を広げて、発掘を続けていたところ、ついに大量の瓦と共に、窯跡が発見されたのでした。
そして、発見後すぐに手続きが行われ、平成7年度中に「カワラガマ遺跡」はめでたく県史跡に指定されました。
発見された窯跡 出土した瓦の例(鐙瓦)
カワラガマ遺跡が発見後すぐに県史跡に指定されたのは、窯跡の形状が極めて珍しく、また古いものであったからです。
奈良時代~平安時代初期にかけて奈良・京都で盛んに造られた「平窯」と呼ばれる種類の瓦窯は、地方でも国分寺造営などの国家事業的大規模工事の際に造られたとされています。カワラガマ遺跡の場合は、出土遺物から平安時代初期のものであると推定されており、国東半島特有の仏教文化「六郷満山」の始まりと関係していると考えられています。九州地方における平窯跡の発見例は、古代では3例しかなく、非常に珍しいタイプの遺跡であると言えます。3例の中でもカワラガマ遺跡の残存状況は極めて良いと評価されています。
カワラガマ遺跡は浅い谷地形の傾斜地に位置し、周囲を山に囲まれています。このような地形に吹く風が、平窯の火の管理にはうってつけであり、この地に瓦窯が造られたと分析されています。また、カワラガマ遺跡で造られた瓦は、付近にあったとされる薬恩寺跡から出土しており、古代寺院の瓦の生産と供給を考える上でとても重要な発見でした。
火口(火の通り道)までしっかりと残る 焼成室(瓦を並べて焼く部分)の様子
薬恩寺跡(推定地)から出土した瓦 現在のカワラガマ遺跡
現在カワラガマ遺跡の窯跡は、恒久的な保存のため、埋土を施して、発掘当時のまま残されています。一見、ただの丘に見えますが、1200年前には六郷満山文化が花開いた寺院に瓦を供給していた重要な場所であったのです。
20年経っていた説明板も見やすくリニューアルしましたので、訪れたことがない方はぜひ現地を訪れて、古代から変わることのないカワラガマの風を感じてみてください。