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このページでは、重要文化的景観「田染荘小崎の農村景観」追加選定を記念して、その構成要素・関連文化財について、連載で紹介し、その魅力を発信していきます。
少しでも田染荘小崎に興味が湧いた方は、実際に現地を歩いてみてください。中世を流れた風の香りをきっと感じることができるはずです。
田染荘小崎の美しい水田を灌漑する装置として、最初に思いつくのが「イゼ」です。一般にイゼキ(井関)・イデ(井手)とも呼ばれる装置のことで、河川などから水を引くために造られる装置です。田染荘小崎にはかなり多くのイゼが残されており、現在も地域の人によって大切に守られながら利用されています。
イゼには名前が付けられており、そこからイゼの歴史の深さを知ることができます。例えば、シコナ(小地名)の「赤迫」「山之口」には、それぞれ赤迫イゼ、ヤマノクチイゼが残されています。これらの地名は室町時代の古文書に遡ることができ、河川が田園に交わる起点に設けられていることから、古くから重要な場所として認識されていたと推定されています
また、田染荘小崎のイゼの形状は、機械イゼと呼ばれるコンクリート壁によって構成されるものだけでなく、石積みを基調とした昔ながらのイゼが残されています。
ヤマノクチイゼの描く曲線は、現代の農村では見られなくなった美しさを持っています。フロノモトイゼは小崎川の中の大岩が長年の水流によって削られてできた甌穴(おうけつ)を利用して、ダイナミックに造られています。
他にも、集落の地下を通過するように水路が造られたマブイゼ(マブ(=間歩)はトンネルの意味)、岩盤に水の通り道を穿って造られたトウゲノシタイゼなど、実にユニークかつ個性豊かなイゼが残されています。
田染荘小崎の水田には、水利の形態も古いまま残されている部分が多くあります。現代的な水田は、用水路から水を引き、排水路に水を出しています。こうする事で、すべての水田に同じような水温・水質の水を供給することができます。
しかし、田染荘小崎では水田から水田へ水を伝える「田越し」灌漑を残しています。田越し灌漑の最大のメリットは水が節約できることで、古くから水不足に苦しんでいた田染荘小崎にはうってつけの灌漑方法なのです。
また、土壌の養分などを排水路に流さずに次の田に伝えるため、水田に暮らす生物を多く涵養し、水稲の育成にも役立ちます。更に水温の低い田染荘小崎では、水田を通る内に水温が上昇し、調節しながら水を田園全体へ行き渡らせることによって、稲作に適した環境を作り上げることができるのです。
ただ単に古いやり方という訳ではなく、田染荘小崎の農家の人たちの智恵が詰まっているのがこの「田越し」灌漑なのです。
【田越灌漑の様子】
【複雑に入り組む水田同士の関係性が大切】
田染荘小崎の水田のはじまりとされるのが、雨引社のある辺りと言われています。田染荘の調査が入った頃、ここには排水機能を持たない「強湿田」と呼ばれる原始的な水田が多く残っていました。
そのすぐ山側には雨引社と呼ばれる神社があり、天水分神(あまのみくまりのかみ)が祀られています。この雨引社は「島原藩領田染組村絵図(県指定有形文化財)」にも描かれており、かなり古い時代から、水が不足しがちであったこの地域の守り神として、あつく信仰されてきました。前節のマブイゼが完成した際にも、田染荘小崎の人々は雨引社に感謝して、社殿と鳥居の整備を行ったことが分かっています。
雨引社の脇には湧き水や天水が集まってできた水流ができており、今もこの水を使って付近の水田が営まれています。地元の伝承ではここから田染荘小崎の水田開発がはじまったとされており、田染荘小崎の歴史を探る上でも重要な場所です。
次回は「田染荘小崎の「奥」の歴史を語る 3つの神社」を掲載します。