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石造地蔵菩薩坐像
南北朝時代の石仏「石造地蔵菩薩坐像」が、県指定有形文化財[彫刻]に指定されました。
国宝・富貴寺大堂に安置される「石造地蔵菩薩坐像」は、背面に応安元年(1368年)に制作されたことを示す銘文が刻まれ、磨崖仏を除けば、県内最古の在銘石仏として、県内の石造文化財の指標となるものです。
本像は安山岩製で、像高41.5cm、幅36.6cmと小ぶりの像です。舟形光背から浮き出るように彫られ、左手に宝珠を持ち、右手には錫杖を持っていたと考えられます。
富貴寺周辺でも中世後期以降に隆盛した地蔵信仰の様相を今に伝える資料としても重要であると評価されました。
富貴寺の周辺には、地蔵信仰に関する文化財が多く残っています。
富貴寺大堂の西側には、多くの石仏が並べられており、それらの石仏群は地蔵信仰と関連が深いといわれています。十王及び奪衣婆は地獄におちた人々を裁く存在であり、生前供養することで極楽浄土に近づくと考えられていました。そして、地蔵菩薩は地獄におちた人々を救う唯一の存在であり、閻魔大王と表裏一体であるという信仰も生まれました。これらの石仏は今回県指定となった像より、やや時代の下る南北朝時代後期の作とされています。
ここに並べられる地蔵石仏は丸彫りで“如意”を持った姿であらわされています。像のつくりや風合いを見比べてみると面白いかもしれません。
富貴寺から西側に250mほど進んだ富貴会館より橋をわたった先にある其ノ田板碑も関連する文化財として見逃せません。向かって右側の板碑には「地蔵堂講衆等各敬白(じぞうどうこうしゅうらおのおのけいはく)」と刻まれ、板碑が造立された建武元年(1334年)の段階で、周辺に地蔵堂があったことを示しています。
そして、その地蔵堂であろうとされるのが、其ノ田板碑から更に500m西に進んだ場所にある中村地蔵堂で、地蔵菩薩と男女の磨崖仏が彫られています。現在は歯痛にご利益があるとも伝えられているようです。
今回「島原藩領田染組村絵図」も指定されましたので、豊後高田市に所在する県指定文化財は57件となりました。また、県指定への昇格に伴い「富貴寺地蔵石仏」の市指定は解除され、140件になりました(平成30年2月6日現在)。