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3月7日(火曜日)、宇佐神宮の別宮として勧請された豊後高田市を代表する神社、若宮八幡神社の社殿4棟(本殿 附棟札一枚・申殿・唐門 附御門神社・西門)が県指定有形文化財となりました。
上方に伸び上がるような本殿のプロポーション、彩色のない素木の総ケヤキ造は江戸時代後期、19世紀以降の神社建築の特徴を良く伝えています。また、国東半島や宇佐地域に特徴付けられる社殿配置が、現在にいたるまで残されていることが若宮八幡神社の特徴です。
今回の調査では、4棟の社殿について、建物内部に残された棟札・墨書銘などにより、江戸時代後期の社殿建築であることが確かめられました。とりわけ、唐門及び西門における墨書銘は新発見のもので、唐門・西門の建築年代の比定に役立ちました。
このページでは、新指定となった若宮八幡神社社殿4棟について解説します。
若宮八幡神社本殿
大鷦鷯命(おほさざきのみこと)をはじめとする多数の祭神を祀る若宮八幡神社本殿は、天保4年(1833)に造営された境内の中心的社殿です。三間社流造の屋根は、桧皮葺で正面に千鳥破風(ちどりはふ)、その下に唐破風(からはふ)を重ねる壮麗な造りをしています。基壇を高くし、軸部のプロポーションも縦長になっているため、上方へ伸びるような見た目をしています。総ケヤキ造で彩色がなく、細かい部分にまで質素ながら動きのある彫物を多用する江戸時代後期の社殿建築の特徴を伝えています。
若宮八幡神社唐門
唐門も縦長のプロポーションで、全体的に本殿を意識した意匠が見られます。総ケヤキ造で彩色がない点など、本殿との共通点も多くあります。今回の調査で建築年代は安政5年(1858)のものと判明しました。
また、西門は一見すると小さな門ですが、様式的には本殿・唐門と共通する点も多いことから、江戸時代後期のものと推定されました。要所に彩色の伴う彫物があしらわれており、天井部の雲の浮き彫り、蟇股(かえるまた)の「虎」「獅子」などが優れています。
若宮八幡神社西門 天井の彫物
破風とは、屋根の妻側(ほぼ等しい側面)の三角形の部分に取り付けた、合掌形の装飾板(破風板)のこと。または三角形全体を指して「破風」とも言います。
若宮八幡神社本殿では、平側(ほぼ等しい正面)の屋根中程に設けられた「三角」を意味する「千鳥破風」と、曲線が印象的な「唐破風」が付けられています。
ちなみに唐破風は「唐」と名がつくことで中国伝来の意匠と思いがちですが、実は日本固有の破風形式です。
若宮八幡神社をはじめとする豊後高田市内の神社境内では、宇佐・国東地域に特徴的な社殿の配置が見られます。中でも本殿と拝殿の間に造られる「申殿(もうしでん)」と呼ばれる建物は、八幡神社系の神社に特徴付けられる礼拝空間です。
若宮八幡神社の社殿配置では、拝殿が新しいものの、本殿―申殿―拝殿の配置は踏襲されており、申殿の主要な部材(柱・長押・台輪・組物・垂木・懸魚)が江戸時代のものと推定されることから、伝統的な社殿配置を現在によく伝えているといえます。
若宮八幡神社申殿
今回の調査では、各社殿の建築年代について深く検討がなされました。
本殿内部には再建・修理の履歴を示す多くの棟札が残されていますが、中でも「金剛棟札」には現在の社殿が天保4年(1833)に造営されたことが明記されています。裏面には本殿造営に携わった多くの人々の名前が列挙されており、宇佐国東半島一帯の職人・若宮八幡神社の氏子圏を考える上で重要です。
唐門については、屋根内部に「奉造営御門一宇(中略)安政五歳〈戊午〉四月吉日」とあり、安政5年(1858)の造営であることが分かりました。また、同じ部分から「工匠後藤熊四郎勝美作」の字も確認され、豊後高田市中伏出身で「豊後の(左)甚五郎」の異名をとった大工・後藤熊四郎の造営であったことが分かりました。
同じく西門にも墨書が発見され、年号までは判別できませんでしたが、金剛棟札に見える大工・金谷簡七の名が見えることから、本殿とそう離れていない年代に造営されたと推定されました。
今回「木造仁王像(阿形)」も指定されましたので、豊後高田市に所在する県指定文化財は55件となりました。また、県指定昇格に伴い「若宮八幡神社本殿」「若宮八幡神社申殿」「若宮八幡神社唐門」「若宮八幡神社西門」の市指定は解除され、135件になりました(平成29年3月7日現在)。