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文化財室では、市内の小・中学生を対象に、地域の歴史や文化をテーマにした出前講座を行っています。
10月2日には、桂陽小学校4年生を対象に、「ふるさとの先人・井上平四郎」について詳しく学ぶ講座を実施しました。
豊後高田市には、義将・吉弘統幸や詩人・江口章子など様々な先人たちがいます。とりわけ桂陽校区を代表する先人が、地域の発展に尽くした井上平四郎です。
桂陽小学校の西側にある志手村(現在の志手町)一帯は崖下の土地で、明治の始めころまで水を引く便がなく、毎年のように干害を受けていました。
この現状をなげき、何とか水を引く方法はないかと考えたのが、江戸末期に同村に生まれた井上平四郎でした。
井上平四郎は、玉津(志手町)の台地に、全長1,300メートルものトンネル用水路「玉の井水路」を約2年半の歳月をかけて掘削しました。
玉の井水路のおかげで、志手町・呉崎石部新開あわせて20ヘクタール(東京ドーム4個分)もの田畑が潤ったとされています。
玉の井水路の様子(※フェンス越しに撮影しています)
「玉ノ井水路」のルート図(推定)
今回の出前講座では、井上平四郎の功績を振り返りつつ、実際に玉の井水路の痕跡が確認できる場所や、顕彰碑での現地見学を行いました。
はじめに高田中学校の近くにある玉の井水路を見に行きました。
職員の解説に、「井上平四郎はどれほど大変なことを苦労して成し遂げたのか」を理解した児童の皆さんは驚きの声をあげていました。
解説を聞いたうえで、玉の井水路の様子をフェンス越しに観察。実際に目の当たりにすると「これを全部人の手で掘ったの?」など様々な声が聞かれました。
次に、井上平四郎没後に地元の人たちによって建てられた顕彰碑のある場所に移動し、石碑を通して功績を次の世代に伝えることの大切さをみんなで学びました。
豊後高田市の歴史と文化をつくった先人たちについて学習するために作成した小冊子があります。
今回の出前講座で解説した井上平四郎も含め、各時代・分野から30人の先人達を取り上げています。
下記のリンクからご覧ください。
【小冊子『伝えたい!豊後高田の先人たち』が完成しました】
これまで実施してきた出前講座の様子をホームページにて公開しています。
下記のリンク先から過去の講座内容一覧を見ることができますので、ぜひご覧ください。