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妙壽寺本堂他4件の建造物が国登録有形文化財に登録されました!

ページID:0002251 更新日:2022年10月25日更新 印刷ページ表示

 平成29年11月17日(金曜日)に開催された同審議会文化財分科会において、国登録有形文化財に登録する旨の答申がなされていました、本市金谷町に所在する妙壽寺本堂(みょうじゅじ ほんどう)・同経蔵(きょうぞう)・同鐘楼(しょうろう)・同中門(ちゅうもん)・同山門(さんもん)について、平成30年3月27日付の官報告示をもって、正式に登録有形文化財となりました。

 妙壽寺は享禄4年(1531)に金谷休喜師が開基し、慶長9年(1604)に「妙壽寺」の寺号を許された浄土真宗本願寺派の寺院です。妙壽寺境内には本堂を中心に、南側筋に経蔵、鐘楼を配し、本堂正面から北東側の市道に向かって中門、山門を配しています。とりわけ壮大優美なたたずまいの本堂は、市中心部のランドマークとして多くの市民に親しまれています。

妙壽寺本堂~県下の近代寺院本堂を代表する建築~

[建築年代]明治35年頃(1902)/平成11年(1999)内陣等改修
[登録基準](二)造形の規範となっているもの

 本堂は木造平屋建、入母屋造、本瓦葺で、帝室技芸員の佐々木岩次郎が設計したことが記録に残されています(当時の設計図も寺に保存されています)。平面構成は真宗寺院の典型的な形式を示しており、前方に外陣、その奥に矢来の間、されにその奥に内陣と余間を配しています。内部は内陣と外陣を分ける金箔の欄間彫刻のほか、各所に彫刻が彫られ、市松模様の格天井など意匠に優れています。桁行(幅)と梁間(奥行)がそれぞれ20mを超える大規模な建築はまさに壮大優美であり、優れた建築技法で造立された上質な本堂建築といえます。

妙壽寺本堂 ~県下の近代寺院本堂を代表する建築~の画像1妙壽寺本堂 ~県下の近代寺院本堂を代表する建築~の画像2

文化財ワンポイント ~佐々木岩次郎(1853~1936)とは?~

 京都府出身。明治~昭和初期にかけて活躍した建築家。当時の名匠・木子棟斎の門に入って建築技術を学びました。東本願寺阿弥陀堂の造営に係る木子の補佐役に命じられ、設計並びに工事監督に従事し、これを完成させています。また佐々木は“日本近代建築の巨人”としても知られる伊東忠太との関わりも深く、伊東と共に設計や監督、また古社寺の調査活動などを行い、平安神宮の実施設計等にも携わっています。
(妙壽寺本堂建立に関わる設計図など・佐々木岩次郎作)の画像
(妙壽寺本堂建立に関わる設計図など・佐々木岩次郎作)

妙壽寺経蔵

[建築年代]江戸時代中期(18世紀前期)
[登録基準](二)造形の規範となっているもの

 本堂の南側に隣接して建てられ、妙壽寺の諸堂の中で最も建築年代が古い建物とみられています。経蔵とは文字通り、経典や仏教に関する書物を収蔵する施設のことです。内部には回転式の書架に経典などを納める八角形の輪蔵が置かれています。正面入口の柱や向拝の柱などにはベンガラや胡粉、青色顔料の痕が残り、建築当初は彩色が施されていたと考えられます。他にも屋根の装飾や大壁に施された鏝絵など、その造作は極めて精緻かつ壮麗です。

妙壽寺経蔵の画像1妙壽寺経蔵の画像2

妙壽寺鐘楼

[建築年代]宝暦11年(1761)
[登録基準](二)造形の規範となっているもの

 天井裏の墨書から建築年代が明らかとなっています。内部の折上格天井や彫刻のつくりに丁寧な仕事ぶりと優美さがうかがえ、独特の意匠をみせています。

妙壽寺鐘楼の画像1妙壽寺鐘楼の画像2

妙壽寺中門

[建築年代]江戸時代末期/昭和時代前期 門扉部分改修
[登録基準](二)造形の規範となっているもの

 本堂と山門の中間に位置する規模の大きな四脚門で、彫刻などから江戸時代末期のものと考えられています。親柱には獏、袖柱には獅子・麒麟の木鼻が取り付けられるなどの意匠が凝らされています。

妙壽寺中門の画像1妙壽寺中門の画像2

妙壽寺山門

[建築年代]江戸時代中期
[登録基準](二)造形の規範となっているもの

 境内の東面に位置し、通りに面する「表門」としての役割を持ちます。中門よりは小ぶりですが、古式をよくとどめ、風格あるたたずまいをみせています。彫刻などの意匠から江戸時代中期に建てられたと考えられています。

妙壽寺山門の画像1妙壽寺山門の画像2

妙壽寺へのアクセス

今回の登録で、豊後高田市内の登録有形文化財は23件(5件追加)となりました。


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