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名誉市民

ページID:0002122 更新日:2023年5月1日更新 印刷ページ表示

名誉市民制度

  本市の住民又は本市に特に関係の深い者で、本市の発展、公共の福祉の増進、社会文化の進展に寄与し、その功績が顕著な者に対し、豊後高田市名誉市民の称号を贈り、市民敬愛の対象として、その功績をたたえることを目的としています。

  新豊後高田市誕生10周年を機に功績基準等の検討を行い、平成27年12月に名誉市民条例を制定し、新市における名誉市民の功績基準を定めました。この基準に沿って、合併前の豊後高田市、真玉町、香々地町における名誉市民、名誉町民のうち、一松 定吉 氏、酒井 武雄 氏、宮本 宗十 氏、堤 隆一 氏の4名の方が、議会の同意を経て名誉市民に選定されました。
  また、令和4年4月1日には金谷吉弘氏が選定されました。

名誉市民の方々

(故)一松 定吉(ひとつまつ さだよし)

明治8年3月18日生

(写真)一松定吉

功績

  昭和3年、衆議院議員に初当選以来、参議院議員を含め34年間国政に携わり、国務、逓信、厚生、建設の各大臣を務められ、戦後の荒廃した国土の復興に尽力されるなど、国政において多大な功績を挙げられ、郷土豊後高田市の名声を高められました。
(平成28年1月1日選定)

 

(故)酒井 武雄(さかい たけお)

明治28年10月15日生

(写真)酒井武雄

功績

  昭和4年、高田町議会議員に初当選以来、大分県議会議員、高田町長、(合併前の)初代豊後高田市長として30年間にわたり、郷土豊後高田市の発展に尽くされたほか、特に、市制施行を目指して周辺各村との合併を主導され、現在の豊後高田市の礎を築かれました。
(平成28年1月1日選定)

 

(故)宮本 宗十(みやもと そうじゅう)

明治40年5月24日生

(写真)宮本宗十

功績

  真玉町長を9期35年間にわたり務められ、真玉町の礎となる多くの基盤整備を手がけられ、郷土真玉町の発展に尽くされたほか、大分県町村会会長や全国町村会理事として、大分県及び全国の町村の先頭に立って地方の発展に尽力されました。
(平成28年1月1日選定)

 

(故)堤 隆一(つつみ たかいち)

大正15年3月30日生

(写真)堤(●▲■全角スペース禁止:スマホで体裁が崩れるため使用しないで下さい●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■)隆一

功績

  大分県議会議員を10期35年間にわたり務められ、県議会議長や各種委員会委員長を歴任され、現在の大分県の礎となる道路基盤整備など多分野で功績を挙げられたほか、県政与党の自由民主党大分県支部連合会の幹事長、会長として、国政、県政を支えるとともに、郷土香々地町の発展に尽くされました。
(平成28年1月1日選定)

 

金谷 吉弘(かなや よしひろ)

昭和4年1月3日生

金谷名誉会頭

功績

  豊後高田商工会議所会頭として21年間、その後、現在に至るまで名誉会頭として、市内の商工業の発展にご尽力されたほか、地方自治に関しても、1市2町合併協議会委員を務め、多分野の公職に就任いただき、地方自治の伸展にも貢献をされました。
  その他にも「草地踊り保存会」や「草地踊り後援会」の会長を歴任され文化の継承にご尽力されました。
(令和4年4月1日選定)​


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