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豊後高田市の紹介

ページID:0001801 更新日:2022年10月25日更新 印刷ページ表示

市の航空写真

自然

本市は、大分県の北東部、国東半島の西側に位置し、東経131°26′、北緯33°33′、東西の距離17.1km、南北の距離23.2km、総面積は206.24k平方メートルで、西は宇佐市、東は国東市、南は杵築市と接しています。
また、大分市まで約60km、北九州市まで約90kmで、両市に比較的近い距離にあり、北は周防灘に面し、豊かな自然と温暖で過ごしやすい瀬戸内式気候に属しています。

地域の東部から南部にかけては、ハジカミ山、尻付山、両子山や日本三叡山に数えられる西叡山等の山々が連なり、国東半島のほぼ中央の両子山から、放射状に谷や峰々が延びた地形となっており、その谷間を桂川、真玉川、竹田川が走り、河口付近に市街地が形成されています。

域内には、瀬戸内海国立公園及び国東半島県立自然公園を擁し、山間部及び海岸部の自然景観や農村集落景観、六郷満山文化ゆかりの史跡等、豊かな自然と歴史文化などの地域資源が豊富です。

歴史

当地域は、奈良時代末から宇佐神宮の影響を強く受け、平安時代には宇佐神宮の荘園となり、その経済力を背景として独特の山岳仏教文化「六郷満山文化」を開花させました。また、当時は海路交通により関西方面との交流が盛んであったため、直接、都の文化の影響を受けたものと考えられます。鎌倉時代から戦国時代まで、当地域は国東半島地域の武士団の瀬戸内海への根拠地であり、明治以降においては関門地域への内海航路の拠点となるなど歴史的には西瀬戸地域の交流の結節点の役割を果たしてきました。その後、昭和にかけて町村合併により、昭和29年度に豊後高田市、真玉町、香々地町の1市2町が誕生しました。

その後、我が国の産業構造の変化に伴う、都市部への人口流出により、過疎化、高齢化が進行したため、新たな時代の変化に対応すべく、平成17年3月31日に1市2町が合併し、人口26,101人(男性:12,207人、女性:13,894人)、新生「豊後高田市」が発足しました。

豊後高田市へのアクセス

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