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【統幸公ゆかりの地・其の二】筧城(吉弘氏館)跡 伝承地

ページID:0002035 更新日:2024年4月30日更新 印刷ページ表示

筧城(吉弘氏館)跡  伝承地​

筧城(吉弘氏館)跡(●▲■全角スペース禁止:スマホで体裁が崩れるため使用しないで下さい●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■●▲■)伝承地​の画像
 西国東郡の武士をまとめあげた大友氏の重臣吉弘氏は、代々「屋山城(ややまじょう)」を居城にしていましたが、政務や普段の生活を行う場として「筧城(かけいじょう)」(筧の第)があったと言われています。吉弘統幸や高橋紹運、立花宗茂といった英雄たちが、ここ筧城で生まれたと考えられています。
しかし、その遺構はいまだ発見されておらず、現地に残った伝承と地名だけがその存在を伝える幻の城です。

天正15年(1587年)に最後の当主、吉弘統幸が伊勢神宮に参詣した際の史料によると、統幸は松行村に住んでいたとされており、現在の松行から長岩屋の入り口にかけて吉弘氏の館があったと考えられています(松行村は現在の字松行よりも広い範囲を指していたとされています)。その範囲での具体的な伝承地として「ホリノウチ(堀の内)」の地名が残るこの場所が有力とされており、筧城ゆかりの大岩を見ることができます。

「筧城」の名称にまつわる逸話

 かつて吉弘氏が、旱魃(かんばつ)に苦しんでいたこの地に筧(懸樋)を作って水を引き、領民を救ったという伝説があり、地域の人から親しみをこめて「筧城」と呼ばれています。

筧城ゆかりの大岩の画像
筧城ゆかりの大岩

「筧城跡伝承地」を案内する石碑を寄贈いただきました

長岩屋地区出身の佐藤昭治様より郷土の歴史を伝える「筧城跡伝承地」を案内する石碑を寄贈いただきました。(令和5年2月寄贈)​
「筧城跡伝承地」を案内する石碑

また、佐藤様には筧城跡入り口に立つ案内石碑も寄贈いただいています。(令和2年4月寄贈)

筧城跡案内石碑

筧城跡伝承地へのアクセス

豊後高田市の市街地から、県道29号線を都甲方面へ。道なりに車で約15分進み、市立戴星学園グランド横を左折してください。(上記の案内石碑を目印にお越しください)


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